1873 | 9月、英国国教会に属す海外伝道団体SPG、日本伝道を開始。 |
1876 | SPG宣教師H.J.フォスとF.B.プラマーが神戸に着任、伝道開始。 |
1881 | 聖ミカエル教会創設。 |
1887 | 日本聖公会設立。 |
1888 | 12月、SPGの付属団体レディーズ・アソシエーション(インド及びSPG宣教地域の非キリスト教国における女子教育振興のための組織)の宣教師H.M.バーケンヘッド、神戸に着任、女子寄宿学校開設に向け準備開始。英国国教会第2代遣日主教ビカステスが、同アソシエーション機関誌『一粒のからし種』に、神戸に女子ミッションスクールを創設する重要性を説くアピール文を送付。 |
1890 | 10月、教育勅語発布。キリスト教排撃の風潮高まる。 |
1891 | 2月、H.J.フォス、女学校設立委員会を発足。 7月、H.M.バーケンヘッド、山本通1丁目10番(現中央区北野町1丁目)の元三田藩主九鬼家所有の家を借り、学校開設の準備に当たる。 |
1892 | 1月8日、「松蔭女学校」開校。(責任者H.J.フォス、初代校長H.M.バーケンヘッド) 10月、2つ目の校地(中山手通6丁目4番地)に移転。 |
1893 | 1月、K.M.モーラ(第2代)校長就任。 |
1896 | 11月、L.J.オーヴァンズ(第3代)校長就任。 |
1899 | 2月、H.J.フォス、日本聖公会大阪地方部(第2代)主教に就任。 12月、私立学校令により各種学校として松蔭女学校設立認可。 |
1901 | 12月、G.E.リーダー(第4代)校長就任。 |
1902 | 同窓会設立。初代会長にフォス夫人(元校長オーヴァンズ)就任。 |
1904 | 4月、A.パーカー(第5代)校長就任。 12月、M.A.スノーデン(第6代)校長就任。 |
1905 | この頃、校章制定。 |
1906 | 9月17日、3番目の校地(中山手通6丁目91番地)に移転完了し、落成式挙行。以後、現在に至るまでこの日が創立記念日とされる。 |
1907 | 4月、M.サービス(第7代)校長就任。同窓会誌「千と勢」創刊。(1958年以降「ちとせのたより」) |
1911 | 4月、エセル・ヒュース(第8代)校長就任。「OPEN HEART」の言葉が初めて使用される。 5月、文部省指定女学校認可。 |
1915 | 3月、私立松蔭高等女学校設立認可。松蔭女学校廃止。 |
1916 | 外国人子女のための教室設置(~1920年)。 |
1921 | 6月、浅野勇(第9代)校長就任。同窓会名を「千と勢会」と決定。 |
1922 | 3月、財団法人私立松蔭高等女学校の設立認可。H.J.フォス初代理事長就任。 |
1925 | 制服制定。6月から夏服、10月から冬服の着用開始。 12月、バジル・シンプソン神戸地方部主教(第2代)理事長就任。 |
1929 | 3月、新校地(現在の校地である青谷)選定。 5月21日、英国第三皇子グロスター公を迎え、新校舎定礎式。玉神木が記念植樹された。 12月、新校舎へ移転。 |
1930 | 1月9日、青谷新校舎落成式。 4月、修業年限1年の松蔭高等女学校専攻科設置(~1945年)。 |
1937 | 6月、校地内のSPG所有地にチャペル完成。 7月、日中戦争勃発。 9月、プール開場式。 |
1938 | 7月、阪神大水害で生徒2名死亡。避難者200名を収容保護。 |
1939 | 3月、校歌制定。作曲者山田耕筰氏を迎え、校歌発表行事開催。 9月、第二次世界大戦勃発。 |
1940 | 9月、八代斌助(第3代)理事長就任。理事会、キリスト教教育の中止を決定。 |
1941 | 3月、寄宿舎閉鎖。奉安殿(御真影と教育勅語を納める建物)完成。 4月、全国中等学校統一服の着用開始。 7月、外国人教師のほとんどが国外退去。校庭開墾、宝塚小浜村に学校農場を作る。チャペル撤去。 12月、太平洋戦争開戦。 |
1942 | 濱根岸太郎(第4代)理事長就任。 |
1944 | 4月、軍需工場への勤労動員開始。 |
1945 | 4月、「決戦教育措置要綱」実施により授業停止。 6月5日、神戸大空襲で校舎(本館、東校舎など)焼失。 8月、終戦。 9月、授業再開。八代斌助が再び理事長(第5代)就任。キリスト教教育の復活、強化を理事会で決議。礼拝・聖書の授業再開。 |
1947 | 3月、教育基本法と学校教育法公布。 4月、灘区青谷町三丁目の松蔭高等女学校敷地内に、松蔭女子専門学校設立(修業年限三年の英文科。初代女専校長は浅野勇高等女学校長兼任)。学校教育法により松蔭中学校設置(新制中学校長も浅野勇兼任)。 12月、財団法人名を松蔭女子学院と改称。初代院長に浅野勇就任。 |
1948 | 4月、元日本聖公会九州地方部主教アーサー・リー(第2代)女専校長就任。被服科増設。学校教育法により松蔭高等学校設置。大河内孝高等女学校教頭、新制高等学校校長就任。 |
1950 | 4月、松蔭短期大学(キリスト教科(男女共学)、英文科)開設。 |
1951 | 3月、学校法人松蔭女子学院と改称。 10月、三笠宮崇仁親王を迎え、短大本館西校舎定礎式。 |
1956 | 10月9日、浅野勇校長・院長逝去。日本聖公会総裁主教(1947年から)でもあった八代斌助理事長、(第10代)校長・(第2代)院長就任。 |
1957 | 9月19日、三笠宮崇仁親王夫妻を迎え、体育館落成式、同窓会館地割式。本館南道路を「カンタベリーロード」と命名。 |
1958 | 2月、高校入試実施。(1965年まで) |
1959 | 4月、カンタベリー大主教フィッシャー博士夫妻を迎え、本館南校舎・同窓会館落成式。 |
1962 | 4月、安井彰生(第11代)校長就任。 9月、学院創立70周年記念式典。 |
1972 | 9月21日、学院80周年・松蔭短期大学創立25周年記念式典(神戸国際会館)。 |
1979 | 5月、元カンタベリー大主教ラムゼー博士を迎え、南館落成式。 |
1982 | 9月、学院創立90周年記念式典(中高講堂)。 |
1983 | 6月、吉平一郎副校長、校長代行に就任。 |
1984 | 4月、小川一彦(第12代)校長就任。 7月、『学校報松蔭』創刊。 |
1988 | 4月、磯由美子(第13代)校長就任。 |
1992 | 4月、中塩健彦(第14代)校長就任。 9月、学院創立100周年記念式典(神戸ポートピアホテル)。 |
1994 | 3月、『松蔭女子学院史料』創刊。 |
1995 | 1月、新体育館完成。1月17日、阪神・淡路大震災。生徒2名死亡。 10月、校章のサービスマーク登録認可。 |
1996 | 4月、川崎紘平(第15代)校長就任。 8月、チャペル完成。 |
1997 | 4月、学校週5日制・前後期2期制導入。 |
1999 | 2月、学院発祥の地(中央区北野町1丁目)にモニュメント建立。 |
2001 | 3学期、高校3年生対象「チャレンジプログラム」開始。 |
2002 | 3学期制再開。 9月、学院創立110周年記念式典。 |
2003 | 10月、パイプオルガン設置祝福式。 |
2006 | 「チャレンジプログラム」の一環として環境問題啓発活動「Blue Earth Project」開始。 |
2011 | 4月、服部洋介(第17代)校長就任。 |
2012 | 1月7日、創立120周年記念礼拝(神戸聖ミカエル教会)と祝賀会(Lasse Hall)を挙行。 6月、創立120周年記念式典・記念音楽会(神戸国際会館)。 9月17日、創立120周年記念式典・祝賀会(大学)。 |
2013 | 4月、中高、公式オリジナルキャラクター「Pino(ピーノ)」(=イタリア語で松の意味)誕生。 |
2015 | 2月、高校推薦入試開始。 |
2016 | 4月、浅井宣光(第18代)校長就任。 |
2017 | 12月、学院モットー「一粒のからし種(A grain of mustard seed)」、大学モットー「Open Yourself, Open Your Future」、中高モットー「Open Heart, Open Mind」制定。大学チャペルを「マグダレンチャペル」、中高チャペルを「レオノラチャペル」と命名。 |
2018 | 1月、中学入試に英語1教科入試を導入。 4月、学校週6日制再開。 |
2020 | 新型コロナウイルスの感染症拡大による緊急事態宣言の発出により、多くの行事の中止、教育方法の変更が生じる。(臨時休校、時差登校、短縮授業、オンライン在宅学習の実施、修学旅行の中止、バザー中止など)4月、中学校でディベロプメンタルストリーム、グローバルストリームの2コース制開始。 |
2021 | 新型コロナウイルスの感染状況が拡大、縮小を繰り返し、兵庫県には4回の緊急事態宣言が発出され、前年同様多くの行事の中止、教育方法の変更が生じる。(時差登校、短縮授業など) |
2022 | 1月8日、創立130周年記念礼拝(大学マグダレンチャペル)。 9月17日、創立130周年記念式典(神戸国際会館)。 |
2023 | 4月、高校でランゲージ&サイエンスコース、アスリート&アーティストコース、 グローバルリーダーコースの3コース開始。 |
- ホーム
- 松蔭女子学院の歴史