中村 亜津美
2009年度に松蔭高校を卒業。卒業後は神戸松蔭女子学院大学・文学部・国文学科に進学。その後、IT企業の営業部に就職。
理由は2点あります。1点目は、親友が参加する!と言っていたので、私もなんとなく参加しようかなぁと思いました。2点目は、大好きな松蔭の制服を少しでも長く着たいと思ったからです。参加するまでは、BlueEarthProjectについての知識はほとんどありませんでした。本当に、“ノリ”で参加を決めました。
・自分の考え、意見を持つことの重要性
・熱い気持ちがあれば、必ず分かってくれる人がいる
・何事も自分次第
たくさんありますが、上記3点がBEPを通して得たものだと思います。
部活もやっておらず、6年間、なにかに一生懸命取り組んだ経験がほとんどなかったので、頑張ることの尊さを知り、達成感を初めて感じました。そのおかげで、自分に自信が持てるようになりました。また、今まで周囲に流されて生きてきましたが、自分の軸ができたと思います。
私は、社会人3年目で今の会社に転職しました。転職する際に、会社の大きさや知名度で就職先を決めるのではなく、本当に自分がしたいことを実現できる会社を選ぼうと思いました。そう思ったきっかけは、BEPであれだけ熱い気持ちを持って活動していたので、やりがいもなくなんとなく過ごすのは辞めたいという気持ちがあったからだと思います。あれから何年たっても、あの時の経験や気持ちに助けられることがたくさんあります。
本当に簡単なことですが、下記3点は意識しています。
・マイボトルを持ち歩く
・食べ残しをしない
・電気をこまめに消す
他にも、環境問題に関するニュースは自然と意識して見ている気がします。
楽しいことがしたいなと思い、フラダンスの習い事をしています。いつか、インストラクターになりたいと思っています。また、打ち込んでいることではありませんが、松蔭時代の友達に会う時間は何よりも楽しいです。
神門 かな
2009年度に松蔭高校を卒業。在学中はFOLKSONG部(BAND部)に所属。卒業後は関西学院大学・社会学部・社会学科に進学。その後、富士通株式会社流通ビジネス本部、情報・コンテンツ統括営業部、第三営業部に就職。現在は 枻出版社勤務。
参加された先輩方の話を聞く機会があり、とてもキラキラと輝いている姿に憧れ、興味を持ちました。高校最後の3ヶ月間の過ごし方には、選択肢がいくつかあって悩みましたが、「松蔭生の今しかできないことをしよう」と決心し、Blue Earth Projectに参加しました。
「とりあえずやってみようという心」
活動当初は、女子高生が環境問題を啓発して、人の心を動かすことなんてできるのかと後ろ向きな気持ちがありました。しかし、店舗への協力依頼や街頭インタビューなどを行う中で、思いを持って行動すれば、人に伝わるということを身を持って知ることができました。次第に、自らテレビ局に取材依頼を出すなど、積極的に行動するようになり、自分自身の変化を感じました。この行動力は、現在、仕事でも活かされていると思います。
「人との出会いを大切にする心」
それまでの松蔭生活であまり関わりを持たなかった子と一緒に活動したことで「あの子は普段とても静かだけど、強い意志を持っている」とか「あの子はわたしと違う視点で話をしておもしろい」など、気づかされることが多くありました。Blue Earth Projectに参加していなければ、そんな発見もなく卒業することになっていたと思うと、勿体ないことだなと。
また、この活動を通してこそ得られた民間企業の方や、地方自治体の方との出会いは、わたしの人生に多くの影響を与えました。先入観を持たず、その人のことを知ろうと自分から話掛けたり、様々な立場の方との出会いの場に積極的に足を運んだりすることを大切にしています。
Blue Earth Projectの経験そのものが採用に直結しました。わたしが当社の採用で受けた試験が「Challenge&Innovation採用」というもので、大学時代に成果を上げたことを5分間プレゼンテーションをするといったものでした。わたしはBlue Earth Projectの活動を大学進学後も継続したことを話しました。自分が経験したことには自信を持っていましたし、評価をされたいと思っていました。また、年上の方々にプレゼンをすることはBlue Earth Projectの活動の中で何度も経験したことだったので、この採用では自分の思いをまっすぐに伝えられると確信を持っていました。IT知識も業界知識も皆無だったわたしですが、ポテンシャルを評価いただき、期待を持って採用をしてくれた当社で頑張りたいと思い、入社を決意しました。
節水、エアコンの適度な温度設定、食べ物を残さない、といった自分が啓発していたことは、自ずと実施しています。
陸前高田に遊びにいくことです。会社のボランティア研修で陸前高田に行ったのをきっかけに、地元の方と仲良くなり、定期的に遊びに行くようになりました。それが高じて、現在は、高田のある地域の盆踊りを復活させるプロジェクトに取り組んでいます。これもBlue Earth Projectで得た「人との出会いを大切にする心」から繋がったものだと感じています。
2010年度に松蔭高校を卒業。在学中は茶道部に所属し、生徒会長も務めた。卒業後は関西大学・社会学部に進学。その後、三菱UFJ信託銀行㈱、資産運用相談第2課(渉外担当部署)に就職。
先輩に憧れたことと、もっと長く松蔭と関わり、繋がっておきたかったから。
今の自分にはBlueの血が流れていると思います。
就活において優位性があるからと考えてBlueを始めた訳では一切ない。けれど、Blue やメンバーと真剣に向き合って自分が伝えたいことを表現する力は勝手に身についたので、結果的に有利だった。Blue Earth Projectのことで話すネタは無限にあったので。
エコを思いやった食生活。なるべく地産地消でオーガニックものを選択し、皮もいただく。お財布と相談しながら。正しい知識があるからこそ正しい取捨選択ができる。
仕事。
2011年度に松蔭高校を卒業。在学中は体操部に所属。卒業後、神戸松蔭女子学院大学・文学部・英語学科に進学。その後、フランツ株式会社、マーケティング事業部に就職。
松蔭生活6年の最後までみんなで過ごし、思い出作りに。と軽い気持ちでオリエンテーションに参加したのがきっかけです。オリエンテーションや合宿に参加してみて、高校最後の3ヶ月間を松蔭でしかできない体験をして過ごすことに魅力を感じてBlue Earth Projectに参加することを決めました。
自分の意見を発信する意識をもつようになりました。環境問題を学ぶだけでなく、自分たちでアクションを考え、更には学校や社会を巻き込んでアクションをおこしていくことは当時の私にとって難しくもあり勇気のいることでした。そんな私たちを、先生方や関わる社会人の方たちは高校生としてではなく社会の一員として向き合って下さり、自分の意見を持って発信することの大切さや伝えることの楽しさを知りました。Blue Earth Projectの活動期間は短いものですが、とても充実した時間で、今でも本当に一歩踏み出して参加することを決めてよかったと感じます。
私の年のBlue Earth Projectのテーマが「stop!食品ロス」で、この活動を通して初めて食品の問題を知り、食品業界に興味を持ちました。また、Blue Earth Projectの活動を通してたくさんの働く社会人の姿に触れることができたのは良い刺激になりました。私の場合は、高校を卒業してから大学4年間もNPO法人Blue Earth Projectの活動を継続していたこともあり、学生のうちから自分の意見を発信する場をたくさん頂いていたので就職試験の面接等にもぶれずに自分の意見を持って挑めたと思います。
食べ物を残さないこと・エアコンの温度設定など日々小さなことですが意識して行動するようにしています。
今は洋菓子を販売する会社に勤務し、マーケティングの仕事をしていて、お菓子を通してお客様に幸せな時間を過ごしていただけるような商品づくりやお店作りをしています。感性の問われる難しい仕事ではありますが、愛されるブランド作りの為に日々勉強中です。
現在、ボイストレーナー、各種司会者。
「真面目な青春」「純粋な熱意」Green Eco Project※1 は、アルバイトもしたことがなかった私が、初めて「仕事」として取り組んだことでした。何もかもが初めてで、純粋でがむしゃらでした。
チャレンジプログラムの存在を知った時から、私は絶対にやりたいと思っていました。「全力で一生懸命に取り組めそうなプログラムに参加したい!人の役に立ちたい!」そんな純粋な思いでいっぱいでした。はっきりと覚えてはいないけれど、申し込む直前か直後に、谷口先生から「鈴置さん、グリーンエコやろうよ〜。」と声をかけてくださった笑顔は今でも覚えています。自主的にやりたいと申し込んだ積極的なメンバーとの対面。初めて全員で集まった日、ドキドキとワクワクが止まりませんでした。
エコ活動に取り組む。初めはそれだけしかわかっていなかった。全てが初めてだったし、尊敬する先輩が敷いてくれたレールがあるわけでもない、自分達が、私がスタートでした。谷口先生からはじめのヒントをもらい、そこから仲間と共に創り上げていく新しい世界。私たちに今できること。ハチドリのひとしずく※2 の言葉を大切に、エコ活動について意見を出し合った。「電気をこまめに消す」「レジ袋はもらわない」誰でも今すぐできることを皆で考える。そこから始まった私達の活動。
まず、奈良県の吉野まで合宿に行き、本物の木の香りを知りました。香りの良い本物の木を使った間伐材の割り箸。この割り箸を使ってもらう為に、皆で箸袋のデザインを考えました。制作費を出してくださった協賛企業への交渉の電話。割り箸を置いていただけるように商店街に直接交渉へ。今思えばこれは社会で言う営業活動だったのかもしれない。全てが初めてのことで、とにかく楽しくて毎日がキラキラと輝いていました。
ラジオ出演。神戸阪急百貨店での最後の活動発表。6年間過ごしてきた大好きな松蔭を卒業するタイミングでの最後の思い出。6年間で一番本気で頑張ったかけがえのない経験でした。三宮でチラシを配ったこと、レジ袋削減のための啓発ミニドラマを作ったこと、兵庫県知事に報告へ行ったこと。「とても貴重な体験をさせてもらっていたのだな。」と、10年以上経った今の私は、当時の自分をうらやましく思います。きっと先生にはゴール地点が見えていたのだろう。でも、道のりを1から10まで教えるのではなく、進み方は私達に探させてくれました。そして、私達は自分で考えて、「自分の力で社会を変える!変えられる!自分の行動が誰かの力になるんだ。」と感じることができました。
社会に出ると、会社・上司・同僚など他人の目や評価が気になり、自分の信念や夢や希望がかすんでくる。でも、私はそんな時にGreen Eco Projectの時の自分を思い出しては「自分のやりたいことってなんだろう。」「自分にはどうせできないと諦めていたことはないだろうか。」「人と違ったって良い。」「なんだってできるんだ。」と、前向きに行動しています。きっとそれは、Green Eco Projectという、私にとっての「社会へのはじめの第一歩」が、明るくてキラキラしていたからだと思います。
今、後輩達は私達の時よりももっともっと大きな活動をしていて、正直うらやましい。私もあんなことやこんなことを思いついて、発信して、提案すればよかったなと悔しさも感じます。でも、それがまた今の私の刺激となっています。10歳以上年下の可愛い後輩たち(尊敬している)が、頑張っていることが誇らしく、励みとなり、私ももっと頑張ろうと思える。そして、何歳からでもスタートできる。明日の自分より今日の自分が一番若い。「やりたいこと、やってみよう!」とパワーをもらっています。
いつしか、やらなくてはいけないこと、やるべきことばかりに目を向けてしまいがちになるけれど、それだけではなく、「やりたいこと、自分にできること、やってみたらできるかもしれないこと」を自分を信じて前向きにチャレンジしてみたいと思います。
先生が作ってくれたGreen Eco Projectから得た、「行動してみよう!」という前向きな志を大切に、これからも頑張りたい、そう思っています。ありがとうございました。これからも、ずっと応援しています。またお手伝いさせてください。
2007年度、2008年度は現在のBlue Earth Projectの原形となる活動で、Green Eco Projectと呼んでいた。
※2 ハチドリのひとしずく:
南米の伝説で、森の大火に大きな獣は逃げたのに、ハチドリだけがくちばしで、水のひとしずくを運んで火を消そうとしたという話。ちいさな力の大切さを教えてくれる伝説。