2005年度 「13歳の遺言」を見て、命を考えよう

重田健太郎くん享年13歳。

強い意志で病と闘った一人の少年を、母親が撮影したビデオテープでつづる涙なしでは見られない命のドキュメント

関西では放送されなかったが、余りに反響が大きかって本にまでなったこのドキュメントを講堂でビデオで見ました。終わった時には、もう、講堂はすすり上げて泣く声でいっぱいになっていました。

フジテレビのHPにあるあらすじを交えて生徒の感想を紹介したい。

健太郎君が亡くなって今年で3年。
「時が悲しみを癒してくれる」…そんな言葉は、母親のさゆりさんには慰めにもなりません。さゆりさんは、今も健太郎くんの死を心の中で整理出来ずにいます。家には健太郎くんの写真が至る所に飾られ、壁には彼の書き初めが掛けられています。つたないけれど、それは太く確かな筆致で「大切な命」。
-大切な命-そう記した我が子は、もういません。
妹の美咲ちゃんは、今年13歳。兄・健太郎くんが亡くなった時と同じ年齢になりました。

あんなに泣いたのは久しぶりでした。「13歳の遺言」未来に無限の可能性を持っていたはずの少年が余命わずかと宣告され、死を迎えるまでのドキュメント。最初は‘かわいそう’としか思わなかった。でも健太郎君が痛くて辛いはずの治療に弱音をはかず、看病し心配している家族に気配りをしている姿を見て「健太郎君から学ぶべきところが沢山ある。」と思った。そんな健太郎君が「明後日死にたい」と家族に言った時、この言葉を言うのにものすごい葛藤があったはず...と思うと涙が止まらなかった。健太郎君が書初めで書いた「大切な命」この一文字一文字が健太郎君の一生に反映していると思った。(河野茉理子)

健太郎君が生まれたのは、平成元年7月21日。健康の"健"の字を付けた子は、サッカーが好きな明るく行動的な子供でした。ところが、小学1年になると体に異変が起きます。突然の吐き気。サッカーボールも、思うように蹴る事が出来なくなります。それが、悲劇の始まりでした。脳腫瘍と水頭症。
7歳で大手術を受けたものの、その時点で腫瘍は悪性とわかり、平均5年の命と診断されます。考えうるありとあらゆる治療が施され、8ヶ月後に彼は家族のもとに戻ることが出来ましたが、それも5ヶ月程。腫瘍は脊髄に転移していました。

13歳の遺言は、なんだか感動、それとも同情?尊敬?上手く言葉では表現出来ないくらい胸がいっぱいになりました。健太郎君の、13歳とは思えない強さと優しさに心打たれました。 同じ病気の友達が亡くなった事、家族への迷惑の事、いろんな悩みを抱えながらも頑張り続け、そして医者になりたいという夢を持つ。決してそう簡単に出来る事ではなかったと思います。自分はいつも小さな事で悩んだりして、「どうして私だけ・・?」なんて思ったりする事があった。幸せに気付かずに欲張りになっていたかもしれない。
けれど健太郎君の姿を見て、いつも忘れて過ごしてしまいがちな感情を取り戻す事が出来たような気がします。夢を持って生きていける事、その夢を叶えるチャンスがあるという事に感謝しなければいけない、と思い、命の尊さはもちろん、家族の絆の深さと大切さも学びました。(福代 千春)

『健太郎君、最後の最後まで家族想いで本当にとっても心の優しいあなたに私は感動という言葉じゃ足りないくらいの感情をもらいました。病気の間、辛かったよね、でも健太郎君本当によく頑張ったよね。そして、本当にこんな大きな感動をありがとう。』
この言葉を天国にいる健太郎君にできるならば私は今すぐにでも伝えたいです。
もし、私が健太郎君の立場だったら?
そんな簡単に言ってはいけないかもしれないけど、もし私が健太郎君の立場で最後に辛くて辛くて家族に「明後日死にたい」と言って、でも「みんなに迷惑をかける」と家族の心配をして…私ならきっと自分の病気の辛さと、残りの人生が日々減っていく中での恐怖との戦いで精一杯だと思う。そして家族の心配より自分のストレスで家族に八つ当たりをしてしまいそうな気がしました。
でも、やっぱり自分の大好きな家族。 最後の最後まで私の傍で笑顔で居てほしい存在。健太郎君もきっとそうだったんじゃないかな?と心の中では私はそう思っています。
私は、大学で心理学を4月から学びます。この健太郎君が残してくれた私達への命の贈り物を心にしっかりと受け止めて、心理学を学びます。大学4年間、一生懸命勉強して頑張るので、是非健太郎君に見守っていてほしいと思います。
もう一度同じことを言うようですが、本当に健太郎君には人生の大切さ・命の尊さを改めて教えてもらいました。感動・尊敬・感銘という言葉じゃ本当に言い表せないぐらいの命の意味を教えてくれて本当に健太郎君、ありがとう。
そして、こんな素晴らしい番組をメディアを通して伝えてくださった黒岩さんに心から御礼を言いたいと思います。(仲野 さや)

健太郎くんと三つ違いの妹・美咲ちゃん。兄の闘病生活が始まってから、母親はあまり構ってあげることも出来ません。見舞いに連れて行かれても、幼い子が入れるのは病棟の入口まで。しかも、回りは皆、兄妹に何かあるとお兄ちゃんの味方。さすがに健太郎くんが、美咲ちゃんを気遣う事もあるほど。健太郎くんにとっては、美咲ちゃんが唯一無二の遊び相手でもあるのです。

『13歳の遺言』を見て、いろいろなことを考えた。どうして健太郎くんがあんな目にあわなければならなかったのか、弱っていく孫を見ながら健太郎くんのおじいさん・おばあさんは毎日どんな気持ちで健太郎くんに接していたのか、健太郎くんのお母さんは余命わずかなわが子がいつ死ぬかわからないという恐怖に怯えていたのだろうか。『13歳の遭言』を見ながらさまざまな思い・考えが頭の中をかけぬけ画面から目を離せなかった。
印象に残った健太郎くんや家族の方の言葉・表情は数え切れないほどあるが、この番組の中で私にとって最も印象的だったのは、健太郎くんの妹・美咲ちゃんの姿だった。
私も4歳のとき、そのとき小学1年生だった3歳上の兄が病気であることがわかり、夏休みを利用し手術を受けることになった。当然親は兄に付きっきりで私と5歳上の兄は祖父母と夏休みを過ごした。その時の私はまだたったの4歳で命が何なのか、手術がどういうものなのか理解できていなかったが兄の体の調子が悪く1ケ月は一緒にいれないということは分かっていた。私には兄がもう一人いたし祖父母も優しくしてくれたので泣くほど寂しいというわけではなかったが、毎朝毎朝起きても親に会えず寂しさを感じた事はあつたと思う。だがやっぱり、兄に元気になってほしいという気持ちのほうが強かった。
『13歳の遭言』を見て、美咲ちゃんも4歳の時に3歳上の兄である健太郎くんが初めての手術を受けたと知った。病院の廊下に一人で立って待っている美咲ちゃんの小さい時の写真を見て涙が出そうになった。4歳にして親に甘えられず美咲ちゃんはどれだけ寂しかったのだろうか、そう考えると胸が締め付けられる思いがした。しかし、健太郎くんと美咲ちゃんがお互いを思いやっている姿を見ながら、美咲ちゃんは健太郎くんが大好きだつたからこそワガママを言わなかったんだと思った。美咲ちゃんもお母さんやおじいちやんと同じぐらい健太郎くんのことを大切に想ってるから寂しいと言わず健太郎くんを支えていたんだと思う。そんな美咲ちゃんに健太郎くんはどれだけ救われたことだろう。そんな風に思いながら番組を見ていたら心が暖かくなった。いい兄弟だなって本当に思った。
最後の治療に向かう前に健太郎くんが「美咲待っててね」と言って美咲ちゃんを抱きしめた時、健太郎くんも美咲ちゃんと同じぐらい莫咲ちゃんを大切に思っているんだと思って涙が溢れてきた。そのとき、兄と自分のことを思い出した。兄が手術を受けるとわかった時、両親・祖父母・5歳上の兄はどう思ったのだろうか。私はたったの4歳だったがもう一人の兄は9歳だったので手術や病気のことを知り子供心に不安になったのだろうか。
両親は私と5歳上の兄の二人を置いていくことを申し訳なく思い、また兄の病気のことを考え不安になったに違いない。今では病気が治り当然のように毎日顔を合わせ会話をしているが、過去に私自身の家族にも病気の不安などがあったんだと思い、命があることに感謝しなければならないと思った。誰の命にしても生きていること自体感謝しなければならないんだと思った。今頃になってこのことに気付いたのは恥ずかしい事だが、気付けてよかった。こんな大切なことを気付かせてくれた健太郎君と美咲ちゃんに感謝します。(北野史子)

小学4年で復学した健太郎くん。医師もビックリするほどの回復力でした。しかし、抗がん剤の副作用で頭髪や眉毛は抜け、聴力の衰えから補聴器が必要な状態。もう好きなサッカーで友だちと遊ぶことも出来ません。この頃から、健太郎くんは日記をつけるようになりました。
学校でのこと、楽しかったこと、頑張ったことノ自分と向き合い、10歳の少年は懸命に生きていました。しかし、思うように体が動かない健太郎君は、その後徐々に友達の輪からはずれていきます。
そして6年生になった時、ストレスから解放させるためにも家族は養護学校への転校を決意します。卒業まであと数ヶ月。それでも、貴重な時間を少しでも楽に過ごさせてやりたいと思う親心。健太郎くんは、養護学校で心許せる友だちを見つけます。と同時に、病に侵され、亡くなっていく友だちのことも知ります。人生の無常は、まだ12歳の少年には重荷だったに違いありません。

私は、健太郎君の六年の闘病生活を書いたこの本を読んで、普段何げなく忙しく毎日を過ごしていて見失っていた事を、もう一度考えてみる機会ができて本当によかったです。また番組を見ることによって、文章だけでは伝えきれない健太郎君のメッセージを感じることができました。とても印象的だったのは、健太郎君の発言を聞いていて、私よりもずっと歳が小さいのに考えていることがずっと大人だなと思う場面がたくさんあったことでした。厳しい闘病生活の中でも弱音をほとんどはかず、手術の決断も自分でしたことや、自分が病気でつらくて大変なのに、妹のことや家族に気を使っていつも気にかけていることなど、本当にやさしくて思いやりのある健太郎君の人間性に驚くばかりでした。自分がもし、重い病気にかかったとしたら、健太郎君のように周りの人に気遣ったり、そんなに強く生きていけるかな?と考えると自身がありません。
また、医師や看護士の医学的な治療や処置以外の精神的な支えが患者さんにどれだけ勇気与える事ができるか、そしてそれが『生きたい』という意志につながるか・・・ということにあらためて気づかされました。それに加えて、病気の子がいると、その家族もその子のことで頭がいっぱいになって、兄弟も同じようにつらい思いや寂しい思いをしているのになかなか気づかないというのも、心にとめておかなければならないなとおもいました。私も短期間でしたが、妹が3回入院したことがあったので、ほんの少しだけ美咲ちゃんの気持ちがわかる気がしました。お母さんがどうしても病気の子にかかりきりになってしまうなかで、ほかの家族が支えあうことでカバーしていくことも重要になってくるのだなと思いました。
もうひとつ強く印象に残っている場面が、ビデオの最後の方で「あさって死にたい」と健太郎君が言っている場面です。ずっと今までたくさんの治療や手術に耐えてきた人に、どんな言葉をかければいいんだろう?「死にたい」と言われてどうこたえればいいんだろう?充分今まで頑張ってきた人にこれ以上「がんばれ!!」なんてとても言えない・・・他にどんなことばがよいか、私には見つけられません。「がんばれ!!」ということばの使い方には注意したいと思いました。
この『13歳の遺言』を通して、健太郎君の最後まであきらめない姿勢に勇気付けられ、「大切な命」について考える機会がもつことができました。
これからは、もっと毎日毎日をたいせつに夢をもって生きていきたい!!(養老 瑛美子)

病魔は、いつまでも健太郎くんを脅かし続けます。12歳になって、横紋筋肉腫という悪性のガン。さらに、慢性腎不全がわかり入院。透析をしなければ、3〜4日の命とのことでした。腎臓の方は治療の結果回復を見たものの、腫瘍は摘出手術が必要でした。ところが、手術の2日前、健太郎くんは脳梗塞に陥り左半身がマヒ。手術は見送られてしまいます。しかし腫瘍を摘出しなければ、命は持ってあと1年との宣告。この状態で手術に臨むにはリスクが高すぎると、医師団は消極的です。

最近私は色々なことを通して『命の大切さ』を感じさせられます。今回見た「13歳の遺言」という番組にまとめられた健ちゃんが生きた13年間、そして健ちゃんが必死に自分の体を蝕んでいく病気と闘った5年間の記録からは命の大切さだけでなく、家族の愛情、妹を気遣う健ちゃんの気持ち、健ちゃんのひた向きさ…色々なことを感じることが出来ました。そして健康ということがどれだけ幸せなことか、病気の人々が毎日どれだけ一生懸命生きているのかがひしひしとフィルムを通して伝わってきて涙が止まりませんでした。私は決して毎日を適当に過ごしているわけではありませんが、このプログラムに参加してもっと一日一日を大切に過ごしていきたいと改めて思うようになりました。(幸林美貴)

母親は我が子にありのままを話します。そして、健太郎くんは「手術をしなければボクは死ぬしかない。手術はする。頑張るから」と母親に伝えます。強い意志で病に立ち向かおうとする彼の気持ちを聞いて、家族は何日も悩みます。そして、「どうしても手術をしてほしい」と医師に頼み込みます。反対をしていた外科医も、ついに承諾しました。
いちるの望みをかけて臨んだ最後の手術。それは12時間にも及ぶものでした。

私は今日、このプログラムに参加して、命の重さ、尊さ、そして大切さを強く感じました。見ている間、胸がいっぱいになり、ただただ泣いて観ていました。長い沈黙の後、重い口を開けておじいちゃんに言った「あさって死にたい」という言葉。病気と闘うことが辛くて出たのではなく、みんなに迷惑を掛けてしまうという思いから出た言葉。自分の辛さよりも、周りにいる人の辛さが悲しくて、出た言葉。まだ13歳なのに、ここまで相手を思いやれるなんて…。健ちゃんから何よりも大切なこと「生きるということ、そして相手を思いやるということ」を、今一度教えてもらったように思います。生きることの大切さを胸にかみしめて、一日一日を大切に生きたいと思いました。(篠原 梨栄)

2ヶ月後、一時帰宅を許された健太郎くんは、家族そろって温泉旅行に向かいます。健太郎くんは13歳の誕生日を迎えていました。これが最後の家族旅行となりました。そんなある時、健太郎君はおじいちゃんに重い口を開けた。それは「明後日死にたい」なぜそんなことを言うのか。その答は「僕が病気なら家族のみんながけんかするから」……言葉のかけようもない。すると、健太郎君は、すり寄る妹に、「待っててね」とつぶやいた……

私は講堂でこの番組を見る前に、健ちゃんのお母さんの書かれた本を読んで、色々な思いで胸が一杯になりました。こんなかわいそうな少年がいていいのかなぁと悔しく思いました。
この本の主人公である重田健太郎は本当に素晴らしい少年でした。勇気があり、何事にも熱心で、そして誰よりも思いやりのある少年でした。私は一つの言葉が頭からはなれません。それは、健太郎君が書初めで書いた『大切な命』です。これは、病気で生きたくても生きれない人がいるのに平気で人を殺したり、自殺してしまう人がいるのが悲しくて、命を大切にして欲しいという強い願いが込めてこの言葉を書いたそうです。私はとても考えさせられました。
今の世の中は平気で人の命を奪う時代です。しかもそれを平然とニュースで報道される事を聞く人間。今の時代の人間は命をとても軽く考えているのではないでしょうか。もしかすると自分もその一人だったかもしれません。最近は一日に一回という割合で殺人事件を聞いているような気がします。しかし、私は、あぁ、またか…というような気持ちで聞いていたような気がします。こんな自分がとても恥ずかしくも感じました。
健太郎君のような幼い少年が、命の大切さをここまで重く、そして深く教えていた。人は一人で生きているのではなく、その人を取り巻く人々の存在の事を忘れていたような気がします。健太郎君はたくさんの重病にかかり、本当に辛い思いをしたのは読んでいるだけで涙が出てきそうなくらい伝わりました。
しかし、その分ぐらい辛い思いをしている人もたくさんいました。健太郎君のお母さんはその日その日の事だけで精一杯だったそうです。目の前で自分の息子が苦しんだりもだえたり、手術をして傷が残ったり、副作用で髪が抜けて悲しんでいる姿を見て平気な母親がいるでしょうか。そんな母親がいたら、とんでもない冷酷な人間です。そんな息子に何にもしてあげられない、代わってあげる事も出来ない現実を目の当たりにして、どれほど精神的に辛かったでしょうか。その辛さを少しでも楽にしてあげられるのは同じ人間だと思います。しかし、周りの人には同情した目で見られたり、幼いガン患者がいるなどのうわさも広まったそうです。本当にひどいです。私なら少しでも話を聞いて何にもしてあげられないけど、精神的支えにでもなりたいと思います。
本当に健太郎君は強い少年でもありました。健太郎君は病気になって辛い事もあるけれどよかった事がたくさんあったと書いています。それはたくさんの優しさに触れられた事だそうです。私は思いました。人は苦しい事、辛い事を経験するからこそ、人の優しさや人の痛みも多く感じれる、と。こんな大事な事も教えてもらいました。
健太郎君は13歳という短い人生でしたが、本当に素晴らしい大きな価値ある人生を生きたと思います。命の大切さを深く知り、人の痛みも分かち合え、人に生きる勇気をも与えてくれた少年です。私の心の中でずっと生き続けると思います。健太郎君には生きる上でたくさんの大切な事を教えてくれたから。
健太郎君の欲しかった物は友達だったそうです。私はこれから健太郎君のような病気で苦しんでいる子供達、またどうしたら人々の心の支えになれるか考えました。出来るなら一つ一つの病院を回って一人一人話して行きたいぐらいの気持ちです。こんな私でも役立てる事は探せば一つはあると思うのです。これからは命を大切にして欲しい事と健太郎君から教わった事を胸に生きていきたいと思いました。(大丸 恵)


重田健太郎くんのお母様重田さゆり様に、フジテレビで会って頂きました。

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