2004年度 修学旅行生を案内しよう

山形県のある中学校の修学旅行生が神戸で班別行動をする。その中のある班が、防災震災を学ぼうと言うことで、学校の近くの大日商店街にやって来る。

そんな中学生に震災の犠牲者を悼む千羽鶴とか、震災当時の写真を飾って、それらの説明をしながら、中学生と交流しながら防災について考えようというプログラム。

まずは、修学旅行生が来るまでの準備。
商店街の会長さんと一緒に、千羽鶴のモニュメントを組み立てることから始めました。

これがそのモニュメントです。と言っても半端じゃないんですよ。

神戸の街並みを背景に、港からコンテナ船が力強く出て行こうという絵柄になっています。
震災からの復興を願ってのことなんですが、一方で、その千羽鶴の鶴の数は何をあらわしているか分かりますか? → → →

その数、6433羽!これはあの阪神淡路大震災で亡くなった犠牲者の方々の数をあらわしています。こうしてみると、一瞬にしていかに多くの方々の命が奪われたかが、目で改めて実感できると言うものです。


ところが、このモニュメント、折るのも大変だったはずだけど、組み立ても大変です。

全体としての絵柄を出すためには、何百という千羽鶴をある順番にそって横に並べて掛けていかないといけないんですよ。そこで、それぞれの千羽鶴の一番下に小さくマークされた数字を探し出し、会長さんに一つ一つ渡していきました。
中には糸がはずれそうなものや、からみついたものもあり、思った以上に時間がかかりました。


次に、修学旅行生にこのモニュメントの説明をするための原稿作り。

私が読む役になったんだけど、これはさすがに緊張しました。わざわざ山形から来て、防災震災をこの神戸から学ぼうという中学生なんだから、うまく話さないとって、すごく責任を感じたりしました。
その後は、商店街の空き店舗に、机を並べて、中学生が一休み出来る場所作り。この空き店舗には大きなガラスケースに千羽鶴がいっぱい入れられていました。

準備の仕上げは、震災の写真を貼ったパネルの展示作業です。震災直後の生々しい写真とか、小学校での避難生活の様子とか、水道の配給等の写真等、時には設置することを忘れて、思わず見入ってしまいました。
準備完了。修学旅行生がやってくる時間に間に合ってよかった。そう思った時、修学旅行生が少し遅れるといの連絡がありました。待っている間緊張している私たちに、がんばって。と、商店街の方が励ましてくれて嬉しかったです。

待つこと20分ばかり、長い商店街のはるか遠くから、修学旅行の集団と思える姿が見えました!

挨拶の後、例の千羽鶴のモニュメントを前にして、一生懸命説明しました。
はじめわたしは、このプログラムに参加するかどうか悩みました。それは、わたしは震災当時家が壊れるとか避難するとか言うまでの体験はなく、こんなわたしが修学旅行生に震災の話をすることはできないと思っていたからです。でも、何かできることがあればと思い参加することにしました。修学旅行生に震災の話をする前に、商店街の会長さんに実際に震災を体験していないことを話しました。すると会長さんは「細川さんが震災のことを忘れないためにも、今日一緒に学べばいい」とアドバイスをいただきました。

話の途中で、ふと見ると、モニュメントを上の方から下までじっと見る子、下の方に置いてある説明の掲示板を読む子、そして私の顔をじっと見る子、みんな静かに聞いてくれていました。嬉しかったです。

その後、パネルの写真にも、修学旅行生は真剣に身を乗り出して、いつまでも見入っていました。

最後に、空き店舗に作った休憩所で、みんなにお茶を入れて出してあげました。
そして、修学旅行生や商店街の会長さんと話をするうちに、地震の恐ろしさと人と人とのつながりの大切さをわたし自身、改めて知りました。

語り伝えるってこういうことなんだ。神戸で暮らしている私達は、この震災の体験を、辛くても忘れてはいけない、震災を知らない今の子供たちに伝えていかなければいけないそんなことにも気づきました。とても勉強になった1日でした。(細川 麻美)