ニューヨークで銀行員 石田佳子 さん |
私自身自覚はありませんが、母によれば小学校では問題児だったとか。質問しても教えてくれない、服装がだらしない、えこひいきをする、と言った理由で私は先生が嫌いだっただけなのですが。母が松蔭と同じ英国聖公会の幼稚園の先生に相談して、行かせる事になったのが松蔭でした。同じ頃、幼稚園の一年上のお姉さんが真っ白な制服を着て歩いていました。それどこ?松蔭やよ。へえ。 卒業後は、大阪外大独語から旧東京銀行に就職。1986年、ドイツに行きたかったのですが、ニューヨークに送られてしまい、その後転職、途中TVの料理番組や小説の翻訳をしながら、未だにニューヨークで銀行員をしています。銀行員と言って皆さんの想像される業務ではなく、輸出から始まり、今は融資関係事務、契約、社内規程、日米当局の規制との整合性の確認。システムアクセス管理も掛け持ちしています。業務柄、規制も厳しく、高速で進んでいくシステムとの競合・セキュリティの強化が業界の課題です。簡単に言うと、他の人の振りをして、架空の取引を実行したりお金や大事な銀行・お客様の情報を盗んだりする人がいないかチェックする、そしてそう言った事が起こらないよう防ぐ努力をしているわけです。 今の職務についてそろそろ六年、同僚はアメリカ人二人、非常に良い関係が続いています。お互いに仕事の経過報告、問題点を報せ合う事、議論をする事で無く解決を目的として議論をする事、外からの攻撃に対しては力を合わせて対処する事辺りが、秘訣でしょうか。これ、学校でもクラブでも卒業しても、何処でも何にでも役に立つキーポイントですよ。 国内外の思い掛けない所で、松蔭の卒業生に出会う事があるものです。素敵な奥様、しっかりお母さん、怖い先生、どんな職業であれどんな所であれ、明るく優しくたくましく、私達は生きています。 私の世代の少し前は、“のくせに”、私の頃は、“女性なのに”、“女性でも”、その後、“女性だけど”、“女性だから”、と変遷を見ました。そんな21世紀を作り上げるのは、私達、貴女達、そしてこれからの卒業生です。そうして作り上げる21世紀、みなさんは“明るく優しくたくましく”生きて行って下さい。 |
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