卒業生からのメッセージ

京都大学霊長類研究所研究員・理学博士
酒井朋子さん


はじめまして、卒業生のH52回卒業の酒井朋子と申します。このたび、わたくしのようなものの紹介文をしたためる機会をいただきましたことを、深く感謝いたします。まことにありがとうございます。

わたくしは、現在、京都大学にて、先生方やスタッフの方々のご教導・ご援助をいただきながら、ヒトの脳構造の進化的由来を明らかにすることを目指して、日々研究に取り組んでおります。

人間のこころや行動を理解するうえで、その基盤となる脳の進化過程をたどることは重要です。ヒトの脳の大きさは、人類進化の過程でホモ(Homo)属の登場以降、急速に拡大しました。とくに大脳は、他の霊長類にくらべて、かけ離れて大きく発達してきました。

近年、医用画像法の発展により、ヒトを含めた霊長類の脳サイズを生体で容易に計測できるようになりました。同時に、脳の内部構造にまで踏み込み、ヒトの特異的な脳構造を明らかにすることに関心が集まっています。しかしながら、ヒトの脳の進化的基盤を本質的に理解するためには、オトナの脳構造の特徴に注目するだけでなく、ヒトの固有の脳構造がどのような発達過程を経て現れるのかを明らかにすることが必要不可欠です。

1950年くらいから、ヒトの脳の巨大化の発達メカニズムを解明し理解しようという機運のもと、霊長類の死後脳標本や頭蓋骨標本を用いて、ヒトとヒト以外の霊長類を比較する研究が行われてきました。そのなかで、さまざまな仮説がと唱えられ、現在でも論争は続いております。
 しかしながら、ヒトと最も近縁な現生霊長類種であるチンパンジーの脳構造の発達に関する情報は、これまでまったく得られていませんでした。このため、現在に至るまで、ヒトの脳の発達様式が、ヒト以外の霊長類とどの程度異なり、どのように脳の巨大化を促進するかについて、具体的に検証することは大きな限界がありました。

そこで、京都大学霊長類研究所では、2000年に出生した3個体のチンパンジーの子どもを対象に、磁気共鳴画像法(MRI)を用いて3次元脳解剖画像(PDFファイルへのリンクがあります)を生後初期から縦断的に撮像しています。この調査は世界で初めての試みで、現在も引き続き実施しています。

わたくしはこの研究プロジェクトに2006年の後半から参加しています。そこで、博士の学位論文の研究課題として、当時の指導教官が長年撮像してきた脳画像を解析して、ヒトの脳の発達様式と比較することで、ヒトにおける脳の巨大化の発達メカニズムを検証しました。また、さらなる素晴らしい研究のご縁もいただきました。霊長類研究所、滋賀県立大学、林原類人猿センター(岡山県)の先生方やスタッフの方々のご教導・ご援助をいただき、3次元の超音波画像診断法を用いて、林原類人猿研究センターのチンパンジー胎児を対象に、胎内での脳の発達過程を調べ、ヒトと比較しました。

その結果、世界で初めて、チンパンジーの胎児期から子ども期までの脳の量的成長を半縦断的に分析することに成功しました。また、ヒトのとの比較により、ヒト固有の脳構造の発達機構を明らかにすることができました。ビギナーズ・ラックだったと思いますが、これらの研究成果は、カレント・バイオロジー誌というハイジャーナルの雑誌に記載されました。また、サイエンス誌が発行元であるAAASからユーリカラートで配信され、海外のメディアにも報道されました。

3次元脳解剖画像によるチンパンジーの脳構造の画像解析では、何百回、何千回もの試行や失敗を繰り返しながら、画像解析のプロトコールを確立していきます。緻密でかつ忍耐のいる作業を要します。しかしながら、これらの画像解析を通して明らかとなったチンパンジーの成長曲線をみると、その美しさにいつも感動して疲れも吹き飛びます。この成長曲線は、わたくしに子どものチンパンジーの脳もヒトの子どもたちと同じように個性豊かに発達していくことを教えてくれました。

いっぽう、ヒトの脳容積の成長曲線は、母親の胎内から胎外へとうつりゆく時期に、ダイナミックな変化を示します。その成長曲線は、「ヒトの赤ちゃんは、この世に生きること自体が嬉しくてしかたないのですよ。これから迎える経験や出会いを楽しみにしているのですよ」と、ささやきかけているようです。ヒトという生き物は未熟で弱いけれど、生きることにポジティブな生き物なのかもしれません。

このように、「生物としての人らしい脳の発達とは何か」を探求することは、人類進化学、霊長類学研究、神経科学研究などの基礎研究に貢献するだけでなく、子どもたちの健やかな心や脳の育ちの実現に向けての科学的指針として展開することが可能です。

ここ十数年のあいだで、出産のあり方、子どもの育て方、家族のあり方がたいへん多様になりました。また、診断技術の進歩、インターネットの普及などで、それらに関する情報量も驚くほど増えます。600万年ほど前から続く人類進化の過程から考えると、おそろしいほどの劇的な変化です。このような時代だからこそ、今この世で生きている赤ちゃん、お子さん、お母さん、お父さんたちが、少しでも安心してゆたかな時間をはぐくむことを祈りつつ、日々の研究に取り組んでいます。

松蔭時代を振り返ってみると、わたくしは決して出来のよい生徒ではなかったです。また、当時、文系用の授業を受講しておりました。源氏物語、万葉集、徒然草など古典を読むのが好きな生徒でした。よって、現在どうして脳の進化・発達に関する研究をしているのか考えると自分でも不思議です。ただ、松蔭時代から、「人間とは何か?どのように生きるべきか?」という問いを模索し続けていたように思います。このような模索の道をたどり、多くの師や友人に出会って、たぶん行きついたところが今の「ヒトの脳の進化的基盤の解明」という研究テーマなのだと思います。

今年3月に学位をいただき、ようやく研究の道の一歩を進めたところです。まだまだヒヨコのようなもので、今後も気が遠くなるような試行錯誤の作業が続きます。そして、壁にぶつかることも多々あることでしょう。ただ、松蔭時代の思い出、そして松蔭の先生方や友達とのあたたかい絆は、わたくしにとって大きな心の支えです。

在学中には、学校生活や礼拝を通して教えていただいた松蔭のオープン・ハートの精神を意識することはなかったのですが、卒業後にそのすばらしさに気付かされました。その精神性は、現代社会において女性が社会や家庭でゆたかなに過ごすために特に必要なものだと確信しております。中学校・高校生という多感な時期に、聖書の教えを通して「心の教育」を熱心に行ってくださった松蔭の先生方、そして松蔭で学校生活を送らせてくれた両親に改めて感謝します。

最後に、たいへん不器用なわたくしのようなものでも進歩することができておりますので、松蔭のみなさま方も何事もあきらめず、ご自分を信じて、夢や希望に向かって歩んでください。大丈夫です。どんなに困難なことに遭遇しても、松蔭のみなさま方がすでにお持ちの明るさ・朗らかさ・やさしさがあれば、なんとかなるものです。この紹介文が、少しでも若いみなさま方の励みとなりましたら幸いです。最後まで読んでいただきましてありがとうございました。


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