松蔭だより

2018年6月1日 発行
松蔭中学校・高等学校
校長 浅井 宣光

     

      校長から保護者の皆さまへのメッセージです。       

       

 

言葉のうちに命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇のなかで輝いている。(ヨハネによる福音書1:4〜5)

「シャローム」「アッサラーム・アライクム」(あなたに平和がありますように)」
 イスラエルでは、先月のエルサレムへの米国大使館移転を巡って、イスラエル軍とパレスチナ人との間で激しい衝突が続いており、子供も含めて多数の死傷者が出ています。この国のユダヤ人にとって、平和や平安を意味する「シャローム」は、日本語の「こんにちは」のような日常の挨拶(あいさつ)です。一方、この地に長く暮らしてきたアラブ民族、パレスチナ人にもあらたまった挨拶として「アッサラーム・アライクム」という言葉があり、あなたに平安がおとずれますようにという意味を表します。ユダヤ人とパレスチナ人の対立は、この地域の民族と宗教、歴史の問題によるものとはいえ、両者の挨拶の言葉が意味することとは真逆の事態が繰り返されているのです。
 キリスト教の礼拝で、平和の挨拶と呼ばれる挨拶があります。そのやり方は「主(しゅ)の平和」と口々に言いながら前後左右の人と挨拶を交わすのです。学校の礼拝では行いませんが、松蔭が属する日本聖公会では両手を胸の前で合わせ、たがいに会釈しながら平和の挨拶をします。英語礼拝では「Peace be with you」と言いながら握手したり、家族間ではハグすることもあるようです。争いや戦争が無くなるという意味ではなく、神様に愛される者どうし、心の平安と穏やかで澄み切った魂があなたの心にもたらされますようにと、相手を思いやる言葉を交わしているのです。「シャローム」にしろ平和の挨拶にしろ、一方通行ではありません。たがいの心を相手に寄せ心を触れ合わせることが挨拶なのです。
 日本語の「こんにちは」の語源は、「今日はご機嫌いかがですか? 良い一日となりますように」という後半が省略されたもの。「さようなら」のさようは然様(さよう)で、これにてお別れですが、お元気で。「お早うございます」は、後から来た人が、こんなに早くいらっしゃってお疲れ様、という文が省略されたものという説が、語源を解説する書物には載っています。中学1年のマナー学習の授業でも小笠原流礼法の先生から、マナーやエチケットは、自分を格好良く見せるためではなく、相手への思いやりだと教えられます。挨拶は社会人の基本中の基本と言われ、大人になるまでに身に付くようにと日本の家庭や学校では躾(しつけ)として語られることが多いわけですが、言葉に思いやりをのせて、本当の意味の挨拶を交わしたいものです。
冒頭の聖句は、言葉は命であり暗闇を照らす光だと説きます。人と人の交わす言葉のきっかけが挨拶だとすると、自分本位で人を思いやることのない暗黒の世界で輝いているものは光、すなわち挨拶ということになるのでしょう。

挨拶(あいさつ)力100の生徒
 近所の方の話です。孫が中学生だが「行ってきます」も「ただいま」も言わない。親も子供に「おはよう」と声をかけることがない家庭だから仕方ない。「おばあちゃん、行ってきます」と言ってくれたらうれしいのに、毎朝、無言で家を出る、とこぼしておられました。親の立場からすると、我が子が自分から挨拶ができる中高生になって周囲の人から好かれ、大切にしてもらえるように育ってくれれば、子育てはある意味で成功だと思いますが、いかがでしょうか。都市部では近所の人に挨拶することが少なくなりました。数年前の新聞に次のような記事が掲載されていました。あるマンションの自治会で、小学生の親から「子どもには知らない人から挨拶されたら逃げるように教えているので、マンション内では挨拶をしないことに決めてください」という意見が出た。そこで子供の安全のために挨拶しないというルールを作った、という内容でした。コンビニなど小売店では、やまびこ挨拶と言われるルールがあって、客が入店する姿を見た店員の一人が「いらっしゃいませ。ようこそ」と言うと、別の店員たちも一斉に同じ言葉を繰り返します。ポテトチップスの大袋と山積みのチョコレートの向こうから元気な声だけが店内にコダマします。突然、客の誰に話しかけるでもなく「ただいま唐揚げがあがりました。いかがでしょうか?」と言う声に驚くこともあります。日本のおかしな挨拶環境のもとで、子供たちがすすんで挨拶する中高生に育つためには、学校と家庭での習慣づくりしかない時代なのでしょう。
 朝、校門に立っていると、登校する生徒が返してくれる挨拶もさまざまです。さわやかな挨拶に感心することもあれば、その逆もあります。先週土曜日、放送作家・漫才作家の村瀬健さんをお招きして「お笑い芸人に学ぶコミュニケーション術」の講演を高校生全員で聴きましたが、その冒頭で、校内に挨拶が足りない、とお叱りを受けました。精神科医でエッセイストの斎藤茂太さんが「挨拶しないことは相手に対する侮辱(ぶじょく)」と記していたことを思い出しています。『すごい挨拶力』という本がありましたが、挨拶力とは良い言葉だと思いながら、生徒の挨拶の様子を思い浮かべました。

  挨拶力100  声を出して会釈とともに、にこやかに目を合わせて。立ち止まれば完璧。
  挨拶力 70  相手に顔を向けて挨拶。睡眠不足は顔に出てしまうけれど。
  挨拶力 40  小さな会釈と声でお返し。読唇術ではっきり理解しました。 
  挨拶力 10  前方凝視で申し訳程度のモゴモゴはほとんど吐息。
  挨拶力 5   頭を約2度前傾させて「本人的」には礼儀正しい。
  挨拶力ゼロ  「あなたの姿は見えません」「今は話しかけないで」


 挨拶力100の生徒もいれば、残念なことにほとんどゼロの高校生がいます。ある生徒に「挨拶できていますか?」と尋ねると、「先生が挨拶してくれない」と話してくれました。人のせいにしないようにと苦しい言い訳をしつつ、校内での会釈と挨拶を徹底していきたいと考えています。

今年度のPTA役員が決まりました。
 役員をお引き受けくださった皆様。紙面を借りて感謝申し上げます。お子様の入学というご縁です。すべての保護者の皆様に「松蔭ライフ」をお楽しみいただければ幸いです。